名古屋市の認知症、動脈硬化、自律神経失調症、その他脳、神経に関する専門的クリニック
認知症は医学のみで処理出来る疾患ではなく、社会学と考えて対応するのが、医者も患者も大切であると考え、今月はその理由を以下に述べます。
認知症の早期発見が遅れるのは、第一に医者の見落としも否定出来ません。しかし言い訳をするようですが、患者は診察室に入ってくる時、一番よそ行きな姿を見せて、しっかりしているように取り繕うものです。私もよく"騙され"ます。診察室から出ると緊張が解け、馬脚を現す患者も多く、これをクリニックのスタッフが見つけて、私に"通報"してくれる事も往々にしてあります。そういう意味から考えると、最も患者さんが真の姿をさらけ出すのは、言うまでもなく自宅ということになります。従って、家族が患者の物忘れから認知症を疑うことが大切です。患者だけでなく家族や周囲の人々にも病識が必要なのです。
早期発見、治療の次に私が心掛けているのは、介護保険を取らせる等、福祉との積極的な連携です。介護保険は、医者が「主治医意見書」という書類で証明しなければ、取得は出来ません。介護サービスの出発点は医療にあります。そこから初めて福祉の仕事が始まります。福祉の力により、医療では困難な生活介護や施設への入所などの手続きがされます。認知症患者を医療の枠の中だけで囲っていては駄目なのです。
さらに法律の分野との連携も必要になります。認知症の患者が変な物を買わされたり、財産を取られたりする案件は、今後どんどん増えていくことでしょう。家族への相続問題なども、医療では手が付けられません。そのような可能性のある患者には、司法の仲介を急ぐべきです。これを「成年後見制度」と言います。また不幸にも認知症が進行し、寝たきりに近い状態になった場合を想定して、病識のあるうちに「延命拒否の意思表明書」を準備しておくことも、これからは有意義といえます。寝たきりでの延命は、家族だけでなく、国家財政に大きな負担をかけることを忘れてはいけません。一人の認知症患者を医療、福祉、司法が別々に対応していては能率が上がらないので、三者が連携して迅速に対応すべきです。
以上のように、認知症には医学より社会学が重要であるというのが現状です。我が国で300万人以上の認知症は、もはや他人事の病気ではありません。認知症から逃げることなく、上記手順で粛々と向き合わねばならない時代に、私達はいるのです。