名古屋市の認知症、動脈硬化、自律神経失調症、その他脳、神経に関する専門的クリニック
私は団塊の世代より10年ばかり遅く生まれました。今問題になっているのが、団塊世代が定年を迎えることで、一挙に700万人の労働人口が失われ、企業側からみれば、80兆円という巨額な退職金が支払われ、その後の年金も大きく跳ね上がるという経済的影響です。
一方、私が気になるのは、団塊世代の生き様です。彼らは日本の高度成長を支えてきたという気概がある代わりに、わがままであり、仕事一筋だった故に生活不能者が多いのではと思います。いわゆる「良い老人」になれるか怪しいのです。老人を一律に扱ってきたこれまでの医療、福祉の対応では矛盾や不平が必ず出てくるでしょう。私も相当わがままで、生活不能者でもあります。団塊の世代の心配をする前に、自分もこのままでは「良い老人」には到底なれないと思いますから、私も今から「良い老人」になるよう努力していかねばならないと考えています。
これまで散々述べてきたように、もはや高齢者は世間にウヨウヨしていて、存在自体が尊敬の対象になった昔とは違うのです。私が考えるに、「良い老人」とは世の中の役に立っている老人がまず挙げられます。死ぬまで現役に(別に仕事とは限らない)こだわることは重要です。
次に、あまり説教や愚痴を口にしないことも大切と思います。老人はよく説教をしますが、老人にとっては若い世代への教育的発言として、世の中の役に立てているつもりなのでしょう。しかし現代では若者の歩みを止め、生産活動の妨げになる場合もあります。老人の説教は遺言のつもりで聞くべきなのでしょうが、余りそれが多くては、若者を疲れさせます。愚痴も同様です。口より体を動かしましょう。若者が窮した時に、アドバイスをしてあげれば良いのです。「老害」にならぬ様気をつけましょう。
そして最後に、長患いしないことも「良い老人」の条件です。早い時期から、自分の終末期における延命拒否の態度を明確にしておくことが必要です。癌になって治らないなら、寿命を縮めても苦痛を取ってもらう緩和医療。脳卒中などで寝たきりになったら、自宅での生活をあきらめ、しかるべき施設に入ること。食べられなくなったら、もう栄養補給はしないこと。長寿、"ぴんぴんころり"を目指しつつ、それが叶わぬ場合、上記のような"引き際"も想定しておくべきではと思います。
自分が実際に老人になった時、これらの気持ちを持ち続けているかどうかわかりませんが、今はこのような老人が「良い老人」だと思います。