名古屋市の認知症、動脈硬化、自律神経失調症、その他脳、神経に関する専門的クリニック
動脈硬化などを検査して、「あなたは、後10年は生きられる」と話すと、多くの患者さんは「もうそんなに生きたくない」と答えます。それなら医療機関にかからなくて良いのにと思いつつ、「余命は神様が決める」と返すと、「元気なら生きていたい」と本音を語ります。70歳を過ぎると、気力や体力が低下し、ついついそのような愚痴をこぼしてしまうのでしょう。
しかし、このような「長く生きたくない」高齢者のための医療費は、今日の日本の財政状況を考えると、あまり残されていないことを自覚する必要があると思います。昔は、老人は希少な存在で、「家族や日本のために頑張ってきて、偶然にも長寿を得た」、「従って、相当な無理、我がままでも通してあげて、天国に送って上げよう」という立場に置かれていました。そういう時代なら愚痴は許されるし、むしろ教育的発言として歓迎されたのかも知れません。ところが、現在の日本は、人口の4分の1が高齢者なのです。老人は決して希少、別格的な存在ではなく、社会の構成員の一人という自覚を持たねばならないと思います。構成員とは、生産性を担う一員として、社会の戦力として、活躍せねばならない存在とも言えます。生産するほどの体力がないにしても、若い人の生産活動を妨げないよう、せめて努力する気概は必要と思います。そのような社会の戦力が、「もう長生きしたくない」と考えるなら、医療機関にかからず、自宅で終末を迎えた方が、より社会のためであると言えなくもありません。
私が強調したいのは、高齢者が目的を持って長寿を生き抜いてもらいたいということで、決して早く死んだ方が良いと言っている訳ではありません。
しかし「長生きしたくない」老人が寝たきりに近い状態になった場合、それでも生き延びてしまう現状には疑問が残ると言わざるを得ません。少子高齢化による日本の経済危機という別の次元から眺めると、これまでのように延命に努めることが是とは必ずしも言えないような気がします。
今月の話題「現代医療を再考してみる」で述べましたように高齢者への私からの提言をまとめて『私はどこで生き、どこで死んでいくのか?』を出しました。よかったら読んでみてください。
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